先日、元同僚(ほかの中堅葬儀社に転職した)と交わした会話です。
多少脚色しています。
マニュアルがあっても葬儀業界では役に立たない理由 | 考える葬儀屋さんのブログ
の続編にあたります。
サービス至上主義の終わり
「うちの会社が感動サービスとか言い始めてさ」
「それはご苦労様。そのうち覚えきれないほどのたくさんのスローガンが出てくるよ」
「もう出てきてるよ。一流ホテルに負けないホスピタリティサービスを目指すらしい」
「サービス至上主義か。それはご苦労なことだね」
「でも君、目指してたよね」
「個人としてはね。それなりにやってきた自負はある。
でも時代は変わった。
葬儀屋みんなにサービス至上主義を求めるのはムダだし、不可能だよ。
例えば伝統産業の文楽を娯楽作品という切り口で見るなら他のカテゴリーにいっぱい競合が存在する。
歌舞伎やら演劇だけが敵じゃない。
映画やらアミューズメントパーク、インターネットとかね。
でも葬祭業ってそうじゃない。
代替産業がない。
グリーフワークってカテゴリーで見ればカウンセラーなんかがそうかもしれないし、遺体処置っていうカテゴリーなら将来行政が本格的に入ってくるかもしれない。でも今のところ完全に代替機能を果たす業種はない。人が亡くなる以上はね。
これからの葬儀屋
だから葬儀業界というマーケットの中で死亡者数のシェアの奪いあうだけでいい。
戦略としてうちの葬儀社は他よりちょっとだけいいってことが消費者に伝わればいい。
圧倒的なサービスとかいいながら他のサービス業と競う必要は無い。
葬儀業界というマーケットから外に出る必要はないんだ。
賤民からの地位向上のためなのかもしれないが、他業種と競うサービス至上主義をめざすのは危険だ。
葬儀件数はこの20年間で約25%増える。労働者人口は15%減る。
単純計算すると労働者人口における葬祭業従事者比率を今の1.4倍にしなきゃいけなくなる。
そんな状況でこれから先サービス至上主義に応えられるだけのオーバースペックな求道者を求めると、スタッフの絶対数は足りなくなる。
この世にいないものを求めてもしょうがない。
情操教育でなんとかなるもんじゃない。
さらにこれから先、その努力に見合う給料はもらえないだろう。
大手互助会の経営者は葬儀屋をあえてコモディティ化させている。ほっといてもそうなる前に。
採用するのはコンビニ店員よりちょっと気が利いて空気が読めるくらいでいい。
最近は火葬のみや、会館での小規模層がほとんどなので、それほど高度なスキルは求められない。
明日は休みだからお葬式の担当はムリ、通夜の担当だったらしてもいいですよ、とかそれが当たり前のように言ってさ。
通夜終わったら、同僚と飲みに行って、今日の遺族を話の肴(さかな)にワイワイ騒いでさ。
翌朝は昨日のことなんかさっぱり忘れてデートに行くのさ。
そしてその遺族のことは二度と思い出さない。
葬儀の1件はどんどん軽くなる。
これがこれからの葬儀屋。
遺族が求めてるのはサービス至上主義じゃなくて、身内の死という出現した困りごとを解決してくれることさ。
我々がやってきたサービスなんてコストがかかっても許された時代の産物だよ。
消費者はより文句のないレベルのサービスへ流れていくだけさ。
賤民(戦前)
→チンピラ(戦後)
→職人(高度成長期)
→サービス系スペシャリスト(平成)
→コンビニ店員(令和)
という変遷をたどっている。
平成を過ごしてきた我々にとって、相対的に令和は劣化に見えるかもしれないけど、環境適応だと考えるべきなんだろう。
世代交代
「どうしたの?そんなこと言う人じゃなかったのに」
「20年以上アクセルベタ踏みにして走ってきて最近バーンアウト(燃え尽き)を起こしていることに気づいた。認めたくないけどね。
葬儀に対する情熱のない奴は長くもたないと言い続けていたのに、結局こっちも持たなかったからさ。
大きなこと言えないよね。
自分が定年までアクセル踏み続けられたなら他人にそれを求めてもいいけど、しくじったんなら後から来る人達に自分と同じものを求めるのは無責任だと思ってね。
本当は邪魔にならないように今の段階で身を引かなきゃいけないんだ。でも食べてかなきゃいけないから葬儀業界の片隅で生き続けるしかない。忸怩(じくじ)たる思いだよ。
我々は幕を張るのは上手だけど敬語すらちゃんと話せない大工みたいな連中から20年前、主導権を奪ったんだ。世代間闘争だった。サービス至上主義を掲げてね。
そしてそれはある程度成功した。ハードでストイックだったけれど、幸せな時代だったよ。今まで生き延びることができたこのキャリアを誇らしく思う。
だからこそ次の世代から「これからはお前らの時代じゃない」と言われたら、おとなしく席を譲るべきじゃないか。
いくら経験があるって言ったって、こっちが正しいって言ったって、今この瞬間、現場やっているやつが一番偉いんだ。
もう自分にはほとんど発言権はないよ」
感動サービス
「なんか寂しいね」
「ネガティヴなこと言ってすまんな。希望的観測を言いたいところだが、そんな気分じゃなくてね。
ところで話は頭に戻るけど、トップは本気で感動サービスって考えてるの?
外部に対するプロパガンダっていう可能性はない?」
「どうだろう・・・」
「ソフトバンクの経営理念って知ってる?」
「知らない。」
「情報革命で人々を幸せに、だよ
でも別に彼らは情報革命なんか全然やってないだろう。まさかあのロボットがそうっていうわけじゃないだろ」
「木魚叩いてたやつね」
「そんなわけで経営理念って、むしろ出来もしないくらいのことで丁度いいんだよ。
だから外部に対するプロパガンダっていう理解でいいんじゃないかな」
「でも感動サービスって言うと、純粋真っすぐ君は消耗しちゃうし、ベテランはニヒリストになっちゃうしあんまりいいことないんだよね」
「ああ、それはわかるよ」
「俺どうすればいいかな?」
「ウチに戻って来いよ」
「無理だよ(苦笑)」
始めてコメントいたします
記事が対話形式になっていてとても読みやすく理解しやすかったです
私は東京八王子の古い葬儀社に勤めて5年、葬儀屋としての今後の在り方を模索中です
とても参考になりました
ありがとうございます
葬儀屋しんちゃん@哲学篇 様
コメントありがとうございます。
夢も希望ない内容なので、ダメと言われると思っていました。
お前ら、このままで満足か?
何のために葬儀をする?
お客を見ないでする葬儀なんて無意味だろ?
諦めるなんて、俺はイヤだね。
松瀬教一 様
その心意気いいですね。がんばってください。
葬儀の武器屋だって!?
考える葬儀屋さんもどう?こんなお仕事?
最近はyoutuber佐藤信顕がマスコミに人気が出てきて、本も出した。
考える葬儀屋さんも頑張ってね!
通りすがりの葬儀社 様
コメントありがとうございます!
うちの会社も今感動葬儀と言っています。凄いいい事だと思って毎日取組んでますがダメでしょうか?
成せばなる君 様
いえ、別に悪いとは言えないと思います。
顧客がどう評価するかが重要かと。
葬儀社だけでなくて他の業種でも起こっていそうなので
ここは都合よく思考停止して目の前の仕事を自分を嫌いにならない程度には従事しておこうかなと思います。過去から見たら未来は厳しく見えますが、未来から見たら明るくなってるはずなので
かかし様
日本全体がまずい状態ですね。
こんにちは。
Webメディアについて携わっているものです。
遅かれながら「終活ねっと」のDMM売却の記事を見て
いろいろと周辺領域を調べているうちに
このサイトに辿り着きました。
終活ねっと、のようなマネタイズが売却段階でできていない?(恐らく)メディアでも
10億円でのバリュエーションがあるのでしょうか?
となるとDMM的にはこれから伸びる産業であると考えられているのでしょうか。
あるいは、経営者を救う救済的な買収なのでしょうかね…
ご意見いただけますとうれしいです。
終活関係のメディアを立ち上げたいと思っております。
黑瀨 様
10億円の価値はありませんが、買い手側に将来儲かると期待させることは簡単な分野だと思います。