地方によっても異なると思いますが、
私の地域ではお葬式の最後で、
祭壇に飾ってあったお花を、遺族や参列者が御棺に入れます。
そして御棺のふたを閉めて、出棺となるわけです。
このとき、御棺のふたを閉めるタイミングについてのお話です。
先日
「お名残は尽きぬと存じますが、御ふたを閉めさせていただきます」
と宣言して、御棺のふたをしめる葬儀担当者を見かけました。
この状況で「お名残は尽きぬと存じますが」なんて
普段使わない紋切り型の言葉を使うことの陳腐さに対する無自覚ぶりもさることながら、
段取り的にもちょっと気になりました。
私の場合、喪主さんに
「お気持ちの整理がついたら、おっしゃってください。
御棺のふたをお閉めします」
と伝えて、ふたを閉めるタイミングをご遺族の方に委(ゆだ)ねます。
杜甫の詩に 「棺を蓋(おお)いて事定まる」という一節があります。
その人の評価というものは、棺のふたを閉めて、はじめて決まる
という意味です。
つまり棺のふたを閉めるというのは、
人生の最期をしめくくる非常に大切な瞬間です。
だから、
その瞬間を決めるのは、私ではなく、
長年連れ添ったご遺族の方がいいと思うのです。
そんなことしたら、出棺時間が遅くなってしまう、
という葬儀屋さんもいるかもしれません。
でも私の経験上、遅くなったりはしません。
なんというか、相撲の立ち会いみたいなもので、
遺族の中で、自分自身が決断するための間というか、呼吸を合わせる為の一瞬が必要なだけです。
(ふたを閉めた後、喪主さんの挨拶がある場合は、なおさらです)
些細なことかもしれませんが、結構重要だと思います。
前の記事にコメントすること、お許しください。
少数ですが、医者のなかにも、臨終の時間を
立ち会っている遺族に決めさせる人がいます。
遺族が患者を見ずに、
計器のモニターばかり見ているから、
とその医者は言っていました。
遺族は、ちゃんと、「時」を覚悟しますよね。
先日、若い自死の方の出棺でも、母親は
ちゃんと、踏ん切りをつけていました。
葬儀に至るまでのいろいろな場面で
取り乱すことのほうが多かった母親のために、
担当者は出棺にえらく時間を掛けていましたが、
検視、納棺、通夜、葬儀、告別式と過ぎていくなかで、母親が覚悟を決めたような瞬間が、
ちゃんと来ました。
もちろん、火葬前にも号泣されていましたが、
あの「瞬間」というのが忘れられなくて、
コメントした次第です。
huaquero様、コメントありがとうございます。
かつて医療業界と葬儀業界は悪い関係ばかり語られてきましたが
最近はグリーフワークの観点から、
意見交換しながら遺族のケアに協調して取り組もう
という動きがあるみたいですね。
良い傾向だと思っています。