前回、葬儀の喪服の非常識について語りましたが、今回は葬儀マナー全体で
常識と思われているが、実は非常識な間違ったマナー
について解説します。
このブログの他の記事を読んでいただければわかるように、私は葬儀業界で25年以上働いている葬儀屋さんです。
NHKで葬儀のマナーを解説したこともあります。
これから実際の葬儀現場の、本当の「常識」をお伝えします。
もしかするとこれまであなたが聞いてきたことと、全く逆のことを申し上げるかもしれません。
理由と併せて読んでいただければ、何が本当か、最終的にご理解いただけるでしょう。
では常識と思われているが、実は非常識な間違ったマナーの紹介です。
それぞれくわしく述べている過去の記事を貼っているので、興味のある方は、併せてお読みください。
目次
✘ マナー講師の言うことを信じる
マナー講師、特にマスメディアに出て、葬式マナーを語っているマナー講師を信じてはいけません。以下の点に注意が必要です:
- テレビに登場するマナー講師は、一般的に間違った情報を提供していることが多い。
- 多くの場合、彼らの主張は視聴者の関心を引くために作られたもので、実際の葬儀現場での常識とは異なります。
- 葬儀マナーの本当の「常識」を知るには、自分で調査し、信頼できる情報源に頼ることが重要です。
知りあいの研究者に言わせると、テレビによく出ているような学者はだいたい三流で、本当に優秀な研究者は忙しくて拘束時間の長いテレビには出れないし、コメントをつまみ食いされるのを嫌って出るのをいやがるらしいです。
その結果、ちゃんとした研究成果を持たない売名したいだけの三流学者が出るという構造です。
テレビに出るマナー講師も構造的に似たようなところがあって、普通のマナーをテレビでしゃべってもおもしろくないので、どこにも存在しない創作マナーをしゃべって視聴者から
「えー、知らなかった。すごい~」
と言われようとします。
TVプロデューサーが脳内で考え出したトンデモマナーを言わされた、マナー講師も存じ上げています。
特にメディアによく出ている葬儀マナー三大トンデモ講師は
- 岩下宣子
- 佐々木悦子
- N
の3名です。
最後の人をイニシャルにしたのは、一時期いろいろデタラメを言っていたのを私が指摘したところ、謝罪をしてきたからです。
私が名指しで指摘したブログ記事が、本人の名前でエゴサーチしたら3位くらいに入る状態になっていたので、さすがにヤバいと思ったのでしょう。
それからは、比較的にちゃんとしたことを発言されるようになりました。
以下の記事の内容は
岩下宣子と佐々木悦子の両名が言っている内容が多いです。
✘ 式場の端を歩く
参列者は常に「式場の動線の端を歩け」というのは、佐々木悦子が広めたウソ情報です。
通常葬儀式場は、入口から入ると祭壇まで中央部に通路があるのですが、その端を歩けという珍説です。式場内では、祭壇前に焼香に向かう人と、焼香が終えた人が混在するので、勝手に端を歩かれると動線が大混乱します。
葬儀社スタッフが端を歩いて、とお願いすればその通りにすればいいと思いますが、中央歩いてとお願いしたら言われたとおりにしてください。
このデタラメマナーは、おそらく「神社では端を歩く」という説を、無理矢理お葬式に一般化したのだと思われます。
結論:葬儀屋さんの指示に従ってください。
✘ 一般の参列者は葬儀告別式に参加する
確かに本来の形式は、通夜は身内が行い、一般の参列者は翌日の葬儀・告別式に参列するというものでした。
それが平成に入った頃から、都市部では、親族を除いた一般の参列者はお葬式ではなくお通夜に参列することが多くなりました。
会社帰りに参列しやすいという合理性を優先したためでしょう。
結論:現在ではほとんどの一般の参列者が、お通夜に参列します。
✘ 受付でのあいさつは消え入るような声で話す
葬儀会場の受付では、消え入るような声で「ご愁傷様でございます。」と言え!という珍マナーです。
そんなわけありません。
はっきりしゃべらないのは、相手に失礼です。
そんなことをするくらいなら黙礼(何もしゃべらず、頭だけ下げる)をすべきです。
結論:はっきりしゃべりましょう。
✘ 忌み言葉を使ってはいけない
忌み言葉とは、不吉なことを予感させる言葉を指します。
以下は具体例です
- 数字の「4」:たとえば、4は「し」≒「死」を連想させるため、避けられることがあります。
- 繰り返しを表す言葉:「かさねがさね」「たびたび」など、不幸の繰り返しを連想させるとされる言葉です。
しかし、現在ではほとんど気にする人はいません。
葬儀のプロである私も、弔電の代読を終えてから、「あれは、よく考えると忌み言葉だったかも」と思う程度です。
注意すべきは、安易な励ましの言葉です。
くわしくは↓この記事をお読みください。
結論:忌み言葉は気にしなくていい
✘ ご冥福をお祈りしますを、キリスト教や浄土真宗で使ってはいけない
「御冥福をお祈りします」は、お葬式でよく使われる遺族に対する挨拶です。
ところが、雑誌の葬儀マナー特集でたまに、「ご冥福をお祈りしますを、キリスト教や浄土真宗で使ってはいけない」という話が出てきます。
「御冥福をお祈りします」は、お葬式でよく使われる挨拶です。
「冥」という字は、暗くぼんやりしてはっきりと分からない死後の世界を連想させます。
そのため次のような主張があります
- キリスト教:神の国に確実に逝けると考えるため、「冥」を使わない方が良いという意見。
- 浄土真宗:阿弥陀如来の他力本願により極楽浄土に逝けると考え、「冥」を使わない方が良いという意見。
そのためキリスト教と浄土真宗の場合は
使わない方が良いのでは、という意見です。
しかし「冥」といのは広辞苑によると「目に見えない神仏の働き」という一般的な意味があり、特に何かの宗教から生まれた言葉というわけではないのです。
結論:「御冥福をお祈りします」は
「(故人の)死後の幸福をお祈りします」という意味であり、どの宗教(無宗教も含む)で使っても問題ありません。
✘ 友引の日にお葬式をしてはいけない
結論:友引に火葬してもかまいません。
暦には六曜という考え方があり、カレンダーの日付の下に「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」と小さく書かれているのを見たことのある人も多いでしょう。これが六曜です。
そのうち「友引」と書かれた日には火葬をしてはいけないという考え方があります。
「友引」→友を引く→誰かが亡くなる
と解釈しているからです。
これは誤解で、友引は本来「引き分け」という意味です。
つまり友引に火葬をしてはいけないというのは、迷信です。
ただし、火葬場が休日を決める際に、都合が良いということで友引を休日にしているケースが多いため、実際に友引に火葬ができないというケースは十分ありえます。
しかし最近は、多死化のため葬場不足が深刻化しつつあるので、友引に営業している火葬場も多くなりました。
結論:友引に火葬してもかまいません。
✘ 弔電のアピールを上げたければ高額のものを送る
弔電は、お葬式の時にお悔やみの文章を書いて送る電報のことです。
多くの方が、豪華な電報を送るほどアピール度が上がると考えていますが、違います。
どの電報会社も、弔文を書いている紙はいっしょで、それを高価な台紙に挟んで金額を釣り上げようとします。その台紙もだいたい誰かと被るので、あまり対費用効果は高くありません。
弔電で大切なのは、文章です。
多くの方が、電報会社がすすめる定型文を使おうとしますが、それでは他の方と差別化が図れません。
定型文を使いながら、その中にオリジナルとなる文章を差し込みます。
難しいことを書く必要はありません。
その人との関係性を示すエピソードを一文入れればOKです。
くわしくは↓こちらの記事を参考にしてください。
結論:弔電の台紙は安いものでかまいません。文章を考えましょう
以上、葬儀マナーの非常識の解説でした。
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