6月30日頃、「島田裕巳」のワード検索経由でこのブログに訪問いただいた方が
200名ほどいらっしゃったようです。
原因は
「戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた」
という記事がYahoo!ニュースのヘッドラインに掲載されたためでしょう。
前述の記事の中で島田裕巳氏とその著作が紹介されており
そのテーマに関して過去このブログで触れたことがあったので
アクセスが一時的に増えたようです。
議論は分かれるとは思いますが
ともかく、このYahoo!ニュース(元ネタ週刊朝日)の記事に惹(ひ)かれた方が多かったのでしょう。
惹かれた一般読者も、こんなことしてけしからんと思っている僧侶にも
読んでいただきたいのがこの本。
日本人なら知っておきたいお葬式の才覚―からだの始末と心の整理のつけ方 藤本 晃
僧侶が書いたお葬式の本の中で、表現もロジックも、
もっとも消費者の感覚に近いと内容だと思います。
消費者から見ればこれが普通の考え方、ではないでしょうか?
島田裕巳氏の「お葬式は、要らない」の場合は、
直葬でも良い、戒名無しでも良いと言って
そのあと読者をほったらかしでした。
この本は
お葬式に関しては固いこといわないけど
でも仏教の本質はこうなんだよ
という論調です。
今のままでは日本の仏教界は
最終的に消費者にそっぽを向かれてしまうと思います。
そんな状況の中
今後日本仏教界が、葬式仏教として生き残っていくための
ヒントがこの本にあると思います。
(断っておきますが、私は葬式仏教をネガティブな意味で使っていません)
もちろん、ポピュリズム(大衆迎合主義)に流れることなく、
自分の信念を貫き、朽ち果てる権利が宗教家にはあると
私は信じていますので、
これまで通りのやり方を続けるお坊さんがいてもいいとは思いますが。
さて、これまでこの本を褒めてきましたが
1点の指摘と1点の反論を。
まず、ここ。
逆に、持っていたくない遺骨というのも、あるでしょう。
(中略)
最初から心が決まっているのなら、火葬場で遺骨受け取りを拒否することが
できます。
この方西日本の方かな、と思ったらやっぱりそうでした。
関東圏ではこれはできません。
それからここ。
現在の葬式では、いつのまにかいろいろな風習や勘違いに染まって、身体への
物質的な援助の真似ごとのつもりで、遺体に変なことばかりするようになっ
ています。
遺体に幽霊みたいな白装束を着せたり(今どき和服で旅行する人は少ないで
しょう)、三途の川の渡し賃に六文銭を書いた紙を持たせたり(偽造通貨です)
などと実際には役に立たないことばかりです。
しかもそれが、遺族の悲しみをやわらげることになっているのかどうかも定
かではありません。
故人の好物を遺影の前に供えるなどの物質的なまねごとをして、
が故人の心に回向されるかというと、効果は少ないでしょう。
直接には届かない物質を用意して、
「せめて、この気持ちだけでも届けましょう」
とがんばるよりは、僧侶にお布施をして、仏法のサポートをすることのほう
が、明らかな善行為です。
長々と意味もわからないお経を聞いて、それでも自分の心を無理やり静める
という「修行」をしたら、それは心を清めるという難易度の高い善行為です。
この理屈はちょっと納得できません。
>しかもそれが、遺族の悲しみをやわらげることになっているのかどうかも
定かではありません。
意味の分からないお経を聞くよりは
何か故人のためにしてあげたという実感が持てる分だけ
グリーフワークの観点から役に立っているのではないでしょうか。
そもそも儀式っていうのは、
「目に見えないものを、見えるようにする」役目もあると思います。
「敬意」や「弔意」を表すために頭を下げる、「穢(けが)れ」を清めるために塩をまく
というように。
そうであるならば
葬式そのものが「物質的なまねごと」と言えるのではありませんか。
それから
後半の理屈もちょっと分かりません。
不愉快なサービスに対してより高い対価を払いましょう
っていう理屈になっちゃいますよね。
そもそも僧侶がわかりやすいお経を読むことこそが
善行なのではないでしょうか?
回向ってそういうもんじゃない、のかもしれませんが
私は納得できませんでした。
と部分的に異論はあるものの
他の内容は、まっとうだと思います。
同意するにしろ、反論するにしろ
踏み絵(っていうたとえを仏教界に対して使うのもヘンですが)
となる本ではないでしょうか。
それから、この文章、一応仏教界に対するエール(声援)ですので。
誤解の無いように。
追記
余談ですが、上記で指摘したように
なぜ
関東ではお骨を全部拾って持って帰り、
関西では一部を火葬場で捨ててしまうのか、
理由を知りたい方はこの本をどうぞ。
内容はさておき、このテの本のタイトルの付け方はどうにかならないものでしょうか?追っかけ本ならぬ追っかけ題、編集者の方は書籍が好きで就職した皆様でしょうに、自分に対して何も感じないのでしょうか?
>>編集者の方は書籍が好きで就職した皆様でしょうに、自分に対して何も感じないのでしょうか?
出版社には、「良い本を創るより、売れる本を造れ」と考えている処が多く、自分自身の信念を貫き通すのは至難の業でしょう。(葬儀業界も然り)
本の売れ行きは3T(タイトル、テーマ、タイミング)で決まり、内容は然程重要でありません。
特に、タイトルは編集側(出版社)が決めることが多く、売れるためには類似タイトルも必要です。
1人1人の編集者は良い本を創りたいと考えているのでしょうが、サラリーマンとしては売上至上主義となってしまったのでしょう。
仏教界も儲からない布教活動を怠り、儲けの多い葬儀や霊園に主流を寺院や僧侶が多いのですが、宗教全体への信仰や依存が激減しており、1発屋的な葬儀や霊園に手を出すよりも、地道に布教や信者(檀家)獲得に務めた方が、延命だと考えています。
参考までに、マニアックな本ですが月刊「寺門興隆」という本もあります。(面白い本です)
http://www.kohzansha.com/jimon.html
間違いだらけの葬儀の品格力 様、コメントありがとうございます。
prof 様、私も同意見です。代弁いただいてありがとうございます。
葬儀関係の本をウォッチし続けていると、
傾向とカラクリが分かる様になってきました。