民俗学と言えばこの人
柳田国男の葬送研究をまとめた書籍が復刊と聞けば
これはもう買わないわけにはいかないだろうと。
葬送習俗事典: 葬儀の民俗学手帳 柳田 国男 河出書房新社 2014-07-15
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帯に「セレモニー関係者必携」と書かれていますが
あくまでコアなマニア向けですね。
私が楽しみにしていたのは
珍しい慣習の記述だけでなく
珍しい慣習の記述だけでなく
「なぜ」こんな慣習が生まれたのか
の由来の部分。
とはいえ柳田国男が執筆した当時でも
なぜこうなったのか理由が皆目分らない
という習慣がけっこうあるみたいですね.
興味深いと感じた項目を少し挙げると
不浄縄 フジョウナワ加賀能美郡遊泉寺では、死体は真裸にして桟俵の上にあぐらをかかせて、その上から縄で縦横十文字に固く、腕が体へめり込むほどに締めくくる。この縄を不浄縄といい如何なる時でも、家に一把は欠かされぬとされている。(中略)かける役は近親者で、屍体の前面に立ち廻らずに縛る。前面に立つと死人が鼻血を出すという。
抱き芋 ダキイモ越中上新川郡などでは、火葬する際に棺に山芋を入れて焼き、それを食べると脳病がなおると謂う
あとは泣き女の項目も結構詳しいです。
さて後書きで民族研究家の筒井功氏が述べていることに関して
ちょっと疑問を呈したい。
最近高知県の火葬場での拾骨を経験した際、
最初、立会に遺族二人が呼ばれその後二人で喉仏を拾うように言われたことから
これは「二人使い」と深いところで通底している
と結論づけています。
二人使いとはこの葬送習俗事典によると
喪に入っての最初の事務の一つは、一定の親戚へ知らせの飛脚を立てることで、多く組合近隣の者がこれに任ずる。この訃報に赴く者が二人であることは、不思議と全国に共通している。何故に必ず二人行くかの理由は、まだ名称の方からはこれを窺うことが出来ない。(中略)或いは二人ということは忌の力に対抗する趣意とも解せられる。上総の夷隅郡誌などによると、聞かせ人に限らず葬儀の準備事務はすべて二人ずつ一組になってすると謂っている。
しかしこの結論は性急過ぎるのではないでしょうか。
最初遺族を火葬炉前にを呼ぶのは、
火葬炉から遺骨を出す際の本人確認をするのが目的でしょう。
このとき(特に地方では)遺族がたくさん集まると仕切りが大変になることが多いので、
人数制限を加えているに過ぎないと思うのです
だから二人ではなく三人呼ぶ火葬場もあれば遺族全員を呼ぶ火葬場もあります。
そもそも火葬場のオペレーションは、役人が運営サイドの都合だけで決めることが多いので
突然ヘンテコなルールを制定することが結構あります。
喉仏を拾うのが二人なのも、
一人だと遺骨を落としやすい、3人以上だと息を合わせづらい
以上の意味はないのでは?
どちらも「二人使い」をルーツにしていると言われても
ピンと来ないのです。
ピンと来ないのです。
だから「二人使い」と関係があると結論づけるためには
もっと現在の葬儀に対するフィールドワークが必要なのではありませんか?
柳田がかつてそうしたように。
さて
柳田の書いた前書きでは
葬儀は「その肝要な部分が保守的」と述べられています。
しかしこの本を読むと
かつての日本には地域による葬儀のバリエーションがかなりあった
と思わずにはいられません。
と思わずにはいられません。
男性のスーツのように
100年変わらない絶対的な基本ラインがあるのに
(いや、あるがゆえにか?)
微妙な差異をあえて組み込み
逆にその微妙な差異を際立たせているかのような。
カソリックやイスラム文化圏の葬儀ではこうはならないでしょう。
その微妙な差異をあえて組み込むことで
狭い共同体のアイデンティティにしていたのかもしれません。
近年葬儀は多様化していると言われていますが
この本を読んだ後では
葬儀の情報化によって
むしろ葬儀は画一化してきているのではないか
とさえ思ってしまいます。
現在の状態がいけないとは全く思いませんが
遺品のディスプレイをやったくらいで
現在の葬儀は多様化していると葬儀屋が思い込んでしまっていいのか、
ということを考えました。
また
前書きの文末で柳田は
前書きの文末で柳田は
日本の宗教研究なども、こういう国内の事実の認識を、せめては外国学者の所説と同一程度に、重んずるようになったらよかろうと思うのだが、その機運を作るだけの力が、私たちの仲間に今まではまだ備わらなかった。これが永遠の国の学問の姿ではなくて、ただ単なる一過渡期の状態に過ぎなかったことを、やがでは立証する日の到来せんことを希うの他は無いのである。
と述べています。
私が民俗学に疎いせいかもしれませんが
残念ながら流れは柳田国男の望んだ方向には向っていないように思います。
葬送の 自由をすすめる会の会長を務める宗教学者が
葬儀なんてやめちまえ、とのたまう御時世なので。
葬儀なんてやめちまえ、とのたまう御時世なので。
0葬 ――あっさり死ぬ 島田 裕巳 集英社 2014-01-24
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