コロナの仕事を引き受けない葬儀屋はおろかだと思う3つの理由

Chrysanthemum White Chrysanthemum  - HeungSoon / Pixabay




現在(2022年5月)故人がコロナ陽性だった場合の葬儀社の対応はまちまちである。

1.問題ないと葬儀を引き受ける
2.引き受けない
3.条件付きで引き受ける(納棺はやらない、とか安置はやらないとか)

私は、1であるべきだと考える。

コロナの仕事を引き受けない葬儀屋は、おろかだ。

そう考える理由は以下の3つである。

科学的な理解ができていない

(この章の内容は、ネット上では一般的な議論なので、情報リテラシーのある方や、論理的思考力のある人は飛ばして構いません)

おろかだと思う1つめの理由は、科学的な理解ができていないからだ。
これは、葬儀屋が、というより、多くの日本人が、と言うべきだろう。

コロナウィルスがなんだか良く分からない段階で、過剰な対策を取ってしまったのは仕方なかったと思う。

しかしコロナウィルスが空気感染であり、飛沫感染や接触感染ではないと判明したにもかかわらず、マスクや消毒を継続している。
感染研がエアロゾル感染認める 飛沫、接触の報告書から一転 | 毎日新聞

おろかだ。

1~4波までは、日本人特有の免疫機構のため重症化を免れた(理化学研究所論文
5波のときは、ワクチンが間に合った。(ワクチン接種者と非摂取者の致死率の差異
6波のときは、ワクチン+コロナウィルス自体が弱毒化したことで、感染者数は一定数いても致死率は低い。

リバウンドという言葉で、収まったコロナウィルスが再び猛威をふるったと考えている人が多いが、
実際は毎回変異したコロナウィルスが流行っているので、厳密にはリバウンドは起こっていない。

いままで世の中の反応は、こんな感じだった。

マスコミがコロナは怖いと恐怖をあおる
→視聴者(高齢者)がテレビに釘付けで視聴率があがる
→マスコミがさらにあおる(当初死亡者数を問題にしていたのに、致死率が低下するといつの間にか感染者数を問題にするようになった。現在では厚生労働省通達により、首を吊って自殺しても、死後検査でコロナ陽性と判定されると「コロナで死亡」とカウントされるため、さらに見かけの死亡者は増えている)
→高齢者は年金さえもらえれば失業率の増加など関係無いので、経済活動の締め付けを歓迎する
→高齢者は最大の票田なので、政治家が迎合する

当初の状況が変わっても対策を変えられなかった。

日本人だな、と思う。

先の大戦を例に出すと、戦況が変わっても戦略を変更することなく、竹やりの練習という無意味な対策を始めて、あげくの果てに戦争を終わらせることを誰も決断しなかった。

今回も同じ事が起こっている。あれだけ戦時中の過ちを繰り返してはいけないとさんざん言っておきながら、同じ事を繰り返している。

とても悲しいことだが、最近こんな民族は没落して当然なのではないか、とすら思うようになった。

社会的な被害が、マスクをしてじっとしているだけのことなら、私も批判はしない。

コロナ対策と称した非科学的な経済活動の締め付け→景気が悪くなる→失業率が上がる→自殺が増える
のが分かっているのに何もしようとしないことに絶望している。

2020年4月に東洋経済オンラインに寄稿した記事で私はこの状況を予言している。

葬儀屋として必須知識の欠如

上で述べた反応は、日頃ワイドショーしか見ないせいで、洗脳されてしまった老人であればしょうがない。

しかし葬儀社は違う。

職業上いろいろな感染遺体を扱う。

それゆえ感染症に対する正しい知識は必須である。

御遺体を「適切に恐れる」 

それにもかかわらず、世間並みかそれ以上に、「コロナ怖い」と言い続ける。
葬儀屋として必須知識が欠如しているのである。

おろかだ。

感染の怖さで言えば、遺体への胸部圧迫による空気感染が起こるため、結核で死亡したケースの方が、よっぽど怖い。
昔の話でいうなら、HIV感染を悲観した自殺のケースも怖かった。(診断書には自殺とのみ書かれていて、HIVのことには触れられてないので葬儀屋さんには分からない。現在HIVは十分治せる病気になった)

伝染病より怖いもの

中には、怖いと言い続けることで、それを理由にコロナ遺体の処置料を値上げできるとたくらんでいる、悪質な葬儀社もいるかもしれない。

しかし、引き受けずにただ断っているだけの葬儀社はそういう事情ではないだろう。

単におろかなのだと思う。

葬儀屋自身が葬儀屋差別に加担している

原発事故の時も、鳥インフルエンザの時も、世間の反応はとても非科学的で感情的なものだった。
「理知的で冷静な日本人のイメージから想像できない」反応だった。

私はこの根底には「穢(けが)れ」思想があると考えている。

日本古来の宗教である神道では、人の死を穢れと見なし、穢れを非常に嫌う。それを清める儀式を必ず行う。葬儀の清め塩の習慣も、元は神道発祥である。

本能的に目に見えないものを穢れとして異常に怖がるこの民族性が、非科学的、本能的な嫌悪感につながり、ヒステリックな反応を引き起こしているのではないか。

そしてこの穢れ思想は、葬儀屋差別の原因にもなっている。

人の死は穢れであり、遺体は穢れており、遺体を扱う職につく人々は卑しいという思想である。

葬儀屋は部落民なのか?

つまりコロナ怖いのでコロナの葬儀は引き受けません、という葬儀屋は、穢れ思想を肯定しているのだ。
世間が葬儀屋を差別することを認めているのである。

絶望的におろかだ。

この本に寄稿した文章を、当時、コロナが1年で終息するよう願いつつ書いた。
まだ時間がかかるらしい。











2 件のコメント

  • お疲れ様ですm(_ _;)m

    私は埼玉にいるのですが、沖縄の葬儀社から
    ある方が三重大学でコロナで亡くなり、
    火葬してご焼骨を島へ帰して欲しいと依頼
    されました。

    早速、奈良県の葬儀社の四日市営業所を
    ご紹介しましたところ、快諾して下さい
    ました。

    感染症は怖いが立ち向かおいましょう。

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