アラフィフの葬儀屋さんの独白の形式で、今後の葬儀業界の展望と、オジサン葬儀屋の今後のキャリア戦略について、語ってみました。
ミドルエイジ(45才~55才位)の葬儀屋さんが、キャリアプランを考える一助になればと思います。
目次
結論
まず結論です。
葬祭業は完全に次のフェーズ、つまり衰退期に入っています。
この状況で、アラフィフの葬儀屋さんである自分が行うべきことは引退だと考えています。
これからの葬儀業界
葬儀業界が衰退産業であるということは、このブログを開始した2009年頃にはすでに宣言しています。
葬儀業界就職志望者向けの記事で、そう言っています。
当時「死亡者がこれからどんどん増えていくから葬儀業界は成長産業」と、マスコミはおろか、高名な戦略コンサルタントまでが言っていました。
葬儀業界内でもそう信じている人がいたくらいですから、無理もありません。
現在葬儀産業が衰退しているのは業界独自の問題というより、日本経済と社会が衰退していることも大きな原因です。
日本社会のこれからについて語った記事です。
この記事に書いたように、死亡者がピークを迎える2040年頃には認知症患者が徘徊し、介護殺人と無理心中と餓死者が増え続ける世界が、おそらく待っています。
残念ながら、社会保障財源が破綻するまで放っておくというのが、最大票田である老人たちの「民意」のため、どうしようもなくなるまで状況を変えることはできません。
とても残念です。
こんなディストピア(逆ユートピア)で、葬儀業界がどうなるのかについては、これまで何度か記事にしています。
人々は生活必需を得るのに必死で、文化産業にお金を出す余裕は無くなっていくでしょう。
業界の努力だけではどうにもなりません。
労働環境の悪化や少子化による採用難、直葬(火葬のみ)比率の向上、葬儀単価の下落など、金額ベースの需要と供給どちらも縮小しています。
・死亡者数が葬儀件数を規定する→予定調和のマーケット成長、2040年には減少フェーズへ
・日本固有の文化産業→海外やインバウンドを対象顧客にできない
以上の構造のため、IT産業のような一発逆転がありません。
徐々に衰退していくのは分かっていたのですが、コロナ禍と働き方改革のせいで、それが5年早まったと感じています。
コロナ禍が終わっても、「通勤はなくても良くない?」と気付いたように、いくら葬儀にバリュー(価値)があるといっても
「なけなしの相続財産や貯蓄をはたいてまで、別にやらなくても良くない?」という方が増えていくでしょう。
コロナの時は、僧侶が「通夜いらなくない?」と言っていましたからね。
そりゃ、こうなりますよね。
葬儀は贅沢品もしくは嗜好品になりつつあります。
働き方改革は功罪あるのですが、葬儀業界にとっては罪のほうが大きいかもしれません。これについては後ほどくわしく話します。
首都圏ではこの10年で零細葬儀社の2割位が消滅するのではないでしょうか。
とはいえ、人が亡くなる以上は、しばらく葬祭業がなくなることはないでしょう。
介護業界と一緒で、労働量は増え賃金は減っていきますが、業界自体は存在し続けます。
また衰退産業の中でも生き残る勝ちパターンはあります。
この記事で述べたのが、生き残る葬儀社の勝ちパターンです。
生き残った企業が残存者利益を取るでしょう。
次からは「業界全体は縮小しても、“能力・年齢・価値観”によって取るべき戦略は異なるが、自分はどう考えてきたか」という話です。
これまでの葬儀業界と自分
さて私の簡単な自己紹介としては
- 現場あがりで葬儀業界30年弱のアラフィフのマネージャー
- スタッフ育成のスキルが武器
です。
この業界に足を踏み入れてからの、業界の変化と今後の自分のキャリア戦略について解説していきます。
1990年代以降
私が業界に入社した1990年代は、まだ葬儀屋自身が自分の職業をサービス業と認知しておらず、新人教育もできず、敬語もろくに喋れない職人気質のチンピラが闊歩する世界でした。
我々の世代は、そういう前の世代に対して「どけ!」と宣言したのです。
葬祭業を、単なる肉体労働であると考えていた人たちが多かった時代に、頭脳労働でもあり、感情労働でもあることを訴えました。
そして「見て覚えろ」「生き残った奴だけ使う」「稼ぐためには火事場泥棒のように、何をやってもいい」という文化をやめ、戦略的な採用と標準化された育成を行い、コンプライアンスを根付かせようとしました。
続けて
サービス業としてレベルアップする
→普通の人ができない付加価値を提供して、その対価をもらう
→そのことに自負を持つ
という文化を作ろうとしました。
社会的な職業差別意識をなくしたい、葬儀屋の地位を向上させたい、という気持ちもありました。
ザックリ言うと、生産性の向上とサービスの向上を目指したのです。
それらはある程度成功したと思います。
2020年以降
しかし前述したように少子化とコロナ禍と働き方改革で、時代が変わりました。
それ以前から変化の兆候はあったので、いずれ時代は変わっていたでしょうが、早まりました。
お葬式は完全にコモディティ化しました。特別ではない、ありふれた商品になったということです。
人材難と労働時間制限のもとでは、
「遺族に感謝されることを至上の喜びとして、時にはプライベートを犠牲にしつつ、日々勉強し成長し続ける」という
これまでの価値観は成立しません。
旧モデル=全人格労働(関係性・傾聴・人としての感謝)
から
新モデル=生産性向上(少人数・短時間・高回転・ミスゼロ)
という変化が起きています。
できるだけ少ない労力で多くのお葬式をさばかないといけないため、また働き方改革と労働者意識の変化のため、ずっと一人の担当が一気通貫で対応する葬儀施行の方法論は通用しなくなります。
打ち合わせ→通夜担当→葬儀担当→火葬担当などの各セクションすべてが分業化され、その結果「自分の担当」という意識が希薄になります。当然遺族との関係も希薄になります。
じっくりと人を育てる余裕もないので、短期間で、クレームを受けないそこそこのレベルに育てる
ことが優先されます。
要は「コンビニ店員にいかに葬儀屋をやらせるか」ということです。
かつて、
「サービスパーソンとして、本当にお客様に感謝されたければホテル業界ではなく、葬祭業に来て」
と私は言っていました。
遺族の状況は過酷であり、対応する葬儀屋の状況も過酷なのですが、それゆえちゃんと葬儀を終えられた時の達成感は大きいです。
遺族に泣きながら感謝されたり、20年経ってから再度葬儀依頼の連絡が直接自分の携帯に入る、という経験は葬儀屋でないと、なかなか味わえないはずです。
でも今後、そんなことは起こらないでしょう。
現在は↓この記事で書いた状況です。
先ほど生産性の向上とサービスの向上を目指したと言いましたが、
向上させたサービスはオーバースペックになり、生産性の向上のみをギリギリまで追求していくことが、生き残りに必要となりました。
撤退戦モードに入る葬儀屋さんがどんどん増えてくるでしょう。
これから最上のサービスを目指したい人は、ホテル業界に行ってください。
インバウンド層からトップクラスのホテルには、潤沢にお金が流れています。
優秀な人材にとって、生産性のみに追われることなく、自分の納得行くサービスを提供することができる伸びしろがあるでしょう。
現在の葬儀業界と自分
葬儀業界が完全に次のフェーズに移った状況で、旧世代の私自身がやりがいを持って働くためにはどうすればいいのでしょうか。
現在行っている業務と、今後考えられうるキャリアプランの選択肢を検証します。
まずは現在行っている業務から。
自分のスキルの一部だけ再生産する
大規模葬が減り、一般葬すら行われなくなってきて、今後葬儀屋さんに必要なスキルは縮小していきます。
そうなればこれまで自分が学んだことから、接客スキルや宗教学や死生学や大規模葬の知識等は捨ててしまって、
とにかくミスなく、ボリュームゾーンである葬儀会館での仏式の家族葬と火葬のみ(直葬)を、そつなく高回数回すことに特化する
というニーズが主流です。
あえてシニカルな言い方をするなら「どれだけ遺体をモノとして扱えるか」ということです。
お葬式を行わない火葬のみが5割を超えるなら、ずっと葬儀施行スキルを持たないスタッフも一定数いるようになるでしょう。
実際、今はすでに新人教育として、これを行っています。
かつては最低1年かけて設営の下積み作業やら、いわゆる「雑巾がけ」をやらせて、人間的成長も含めて育成していたのに、今は3ヶ月で担当させて、担当者として「人を使う」ことを教えます。
他愛のない会話の傾聴で遺族の癒しになる、なんてことは教えません。
遺族のために最大限の努力をしたいという志で業界に入ってきた私にとっては、葛藤にまみれる日々です。
しかしこの状況を苦痛だと感じるのは、かつての時代を自分が知っているからであり
最近この業界に入ってきた人にとっては、この状況が普通なのです。
だから葛藤もそれほど生じていないでしょう。
でも私はイヤなのです。
ノスタルジーに過ぎないし、単なるないものねだりであることは、自覚しています。
月並みなダサい言い方をすると「自分の時代は終わった」のです。
ブルシットジョブに耐える
こういう状況ですから、会社全体の顧客アンケートの数値は以前と比べて低下します。
遺族との距離感と、生産性向上はある程度トレードオフの関係なので、これはある意味仕方のない状況です。
葬儀社に仕事の依頼がくるかどうかは、商圏内の相対評価で決まります。
自社のアンケート評価が80点→70点に下がっていても、エリア内の他社が70点→60点に下がっているなら、シェアを失うことはありません。
実際、他社の評判や不祥事を、火葬場の待合室で耳にするたび、
「うちはうまく行っているほうだな。増収増益だし」
と思っていました。
ただ、経営者は常に不安になっている人たちで、資質としてその方が好ましいのですが、このトレードオフを認めず、絶対評価を言い出すときつい話になります。
「70点?下がっているじゃないか!上げる施策を打て」ということ言います。
本来なら「トレードオフのバランスはこれくらいでいく」と決めるべきだと思うのですが、一旦下がりだすと際限なくレベルが落ちるという恐怖があるのでしょう。
その結果、達成できそうにない目標数値のみがトップダウンで降りてきて、マネージャーは仕事をしているアピールが必要なため実効性のない余計な施策を打ち始めます。
たとえばクレーム撲滅のため、コストのかかるゼロリスク施策をとるようになります。
例えばテスト勉強で、7割取れればいいレベルに達するまで7時間かかるとします。
そこでさらに全問正解(ミスゼロ)を目指してしまうと、必要な勉強時間は3時間ではなくさらに7時間位かかります。
パーフェクトを目指すのは非効率なのです。
これを限界効用逓減といいます。

まず現行のチェックリストに加えて、さらに神経症的な二重チェックの仕組みができて、これに手間がかかります。この手順を守らずミスが発生すると、さらに守らせるための施策が増えます。
現場は萎縮し、生産性が落ちます。良かれと思ってプラスアルファのサービスを追加することはミスの発生可能性を高めてしまうので、現場は最小限のことしかやらなくなります。
その結果、さらに顧客満足度は下がります。
次に顧客満足度を挙げるためにはサービスマインドの育成が必要ということで、感動サービスとかウェルビーイングとかグリーフワークの研修をやろうとします。
個人的には、才能原理主義者なので、本人の才能(パーソナリティ)がパフォーマンスに最も影響すると考えています。学びたい人は既に本を読むなり勉強しているはずです。つまりエントリーマネジメントが最も大切だと考えています。とはいえ社命ですから研修は、いちおう全員にやります。
教えるスタッフ(私です)は教育内容が的を射てないためあまり効果がないと思っていますし、受ける方も退屈な上に、研修で現場の業務時間を削られて忙しくなるわけですから、当然響きません。
余計なことをする余裕のない現場設計にしているにもかかわらず、業務外の施策を打つのは逆効果というのは、マネージャークラスが一番分かっています。
しかしトップダウンで数値改善をしろという指示が降りてきているので、自分たちのレゾンデートル(存在理由)を失わないためにやらなければならないという構図です。
ずっとこれが続いて、そして当然アンケート数値は改善されないので、教えるスタッフも病んできます。
ブルシットジョブ(どうでもいい仕事)に、疲れつつあります。
これからの自分
このような業界の状況で、自分が取りうる選択肢について考えます。
現場に戻る
たとえば、マネージャーを降りて純粋な現場担当に戻るという選択肢はどうでしょうか。
さらに状況は悪化するでしょう。
引き継ぎにつぐ引き継ぎで、打ち合わせだけをひたすら1日3回を行うだとか、
担当する遺族に葬儀の開式1時間前に初めて会うだとか、
現在の現場は、効率化を極限まで突き詰めています。
(ちなみにこれは、私が勤めているような労働法を守っている大手葬儀社のケースです。)
多分、古い自分はこの状況にまったくやりがいを見いだせないでしょう。
最近入ってきた若い人は、これが「普通」なので、モチベーションで若い人には勝てないでしょう。
メンタルの次は、体力的な問題です。ずっとトレーニングを続けているし、「まだまだやれる」と思う自分はいるのですが、そもそもそう言い聞かそうとしている段階で、強みなどないのです。
元々ロングスリーパーだったこともあり、夜勤明けの業務がかなり苦痛になっています。
地方の葬儀社に行けば、かつての自分が経験したようにお客さんとの関係がべったりな、牧歌的な働き方も残っているかもしれません。
しかし「最初から最後まで同じ担当者が担当します」とうたっている葬儀社は、ブラック企業で給料も安く、コンプライアンスって何?という社風です。少なくとも労働法を守る気はないでしょう。
定年を全うするまでは保たないはずです。
ここでも自分の居場所はないのです。
30年前に先達に対して「どけ!」と言った人間が、言われる側になったということです。
全く新しいことを覚える
おそらく10年スパンで見ると、葬儀自体が衰退する状況で、生き残る葬儀社は新業態にシフトしていくでしょう。
レンタルビデオ業は壊滅的になりましたが、これを織り込んだTSUTAYAやGEOは新業態で業績を伸ばしています。
同じことが葬祭業で起こります。
これに乗じて全く新しい分野で、自分が活躍するというのはどうでしょうか。
可能性はゼロではありませんが、残された少ない時間の中で行う自己投資とリターンのバランスは良くないでしょう。
これまでの話をまとめると、以下の状況です。
・市場が縮小し、成長領域が存在しない
・30年間培った競争優位性が優位性ではなくなった
・健康資源の限界
・再教育(リスキリング)の回収可能性が低い
リタイアする
今後、それぞれ葬儀社の戦略の正解は何か、個々の葬儀屋がどうすればいいのか、私には分かりません。多分、全体に当てはまる最適解は存在しないでしょう。
しかし自分が選択すべき正解はわかります。
リタイアです。
環境が変わり、自分の能力が陳腐化し、アップデートできないならこうするより他ありません。
私が入社した当時は、葬儀業界で定年まで働くという慣習(文化?)はありませんでした。そのため現場組のオジさんはほとんどいなかったのですが、他業界から管理職として転職してきているオジさんは何人かいました。
特に何ができるでもなく、そのかわりポジションと年齢は高く、不機嫌の鎧をまとっていました。
組織や後進のことを考えず、ただただ自分の既得権益と自尊心を守るため、我を通そうとする姿を老醜だと思いました。
自分も年をとるとこうなってしまうのか?と当時は考えていました。
でも、強い意志と戦略さえあれば、こうはならずに済む、ということが今ならわかります。
「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」です。
リタイアして生活はどうするのか、と聞かれます。
もはや自分が提供できるものが無くなっているのに、生活があるから、もしくは解雇規制守られているからという理由で、自分のポジションにしがみつくのは不健全です。
団塊世代が尊敬されなかったのは、その構造に無自覚か、自覚的それをやっていたからでしょう。
仕事を辞めると食べていけないというのは、その当人の問題であり、労働市場や勤め先には何の関係もない話です。
寿命が伸びているのに、労働環境の変化が早くなっているのであれば、いずれ自分が通用しなくなるのは当たり前です。
残念や無念という気持ちはありません。
時計の針を大学卒業時に戻しても、また葬祭業に就職したいと思えるほどには、良い選択をしたと思います。
自分は若い頃から、定年まで働くというのは無理だろうと思っていました。
両親が夭逝したことによって形成された人生観も、関係しています。
平均寿命を基準に人生の残り時間が保証されているとは考えられません。
後進の方へ
以上の私の文章は、現在葬儀業界にいる人や、これから葬儀業界を目指す皆さんを不安にしたかもしれません。
前述した葬祭業をサービス業と捉えられていなかった30年前の先輩諸氏は、次第に居場所を失っていって
「葬祭業はもう終わりだ」と言い残して去って行きました。
当時新人だった私は「全然終わりじゃない」と思いましたし、実際そうでした。
あくまで、現在の業界に対し、老兵である私が与えたり求めたりするものが無くなっただけで、これから皆さんが与え求め続けるものは、おそらく私の時代とは異なるはずです。
バラ色の未来を語れなくて申し訳ないのですが、
私に対して「どけ!次の葬儀業界は私が創る」と言い放つ新しい世代が出現することを期待しています。






















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