島田裕巳論




0(ゼロ葬)について語ろうと思ったのですが
その前に島田裕巳氏について語ることにします。
ちなみにゼロ葬とは島田氏の提唱する
火葬場に遺骨全部置いて帰ればいいじゃん
という埋葬方法?のこと。

最近お話しした事前相談のお客様の中で

葬送の自由をすすめる会の会員の方がいらっしゃいました。
その中で最近の会の方針はちょっとね
という話題になって。
どうやらその方は自然葬(散骨)が希望だったのに
島田裕巳氏が会長になってからゼロ葬と言いだしたのが気に入らないらしく。

そこでキンドルの中に入れっぱなしだったこの本を読んでみることにしました。

0葬 ――あっさり死ぬ

島田 裕巳 集英社 2014-01-24
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by ヨメレバ

 

 

読後の感想としては相変わらずだね島田さん
という感じで。

この本は
ゼロ葬に関する記述は実質数ページで
あとは普段言っていること(葬式と墓はいらない)の焼き直し。

さて島田氏の主張を読み解くキーワードは
表層的には(疑似?)共産主義思想と葬祭業に対する差別意識であり
深層的には大衆への憎悪ではないかと思うのです。
たとえばこんな記述。

業者は消費者に対してサービスを提供する際に、消費者のためを考え、努力して、要望を満たそうとする。しかし、もちろんそれは善意にもとづくものではなく、利益追求のためであり、要は金儲けを目指している。  となると、葬儀を営むことは、業者を富ませることに直結してしまう。

人を葬ることが儲けになるということは、葬る側、あるいは葬られる側はそれだけの費用を分担しなければならないことを意味する。  それはひどく不合理なことではないか

人が生きているあいだに直面せざるを得ない生老病死の問題に資本の論理が介入し、人を葬ることから金儲けをしようとする試みが次々と生み出されてきていることを見てきた。これが今の実態であり、現状である。  本来ならば、私たちはその資本の論理に対抗しなければならないはずである。

この本の第4章で詳しく述べたように、現在では人の葬り方に対して資本の論理が介入し、それで儲けようとする人たちが増えている。

もうわけがわからない。
要は企業(葬儀屋)が利益を得るのはけしからんという話ですよね。
こんなロジックが正しいというならあらゆる経済活動自体ができなくなります。
過去何度か述べてきましたが、葬儀業界は良くも悪くも規制が無いため
自由競争市場、つまり消費者からの需要があるから成り立っている産業なのですが。

もちろん葬儀屋や墓に無駄な費用をかける必要はありませんし
極力お金をかけたくないという思想も全然問題はありません。
しかし島田氏の発言からは一つの価値感を語っているという以上の悪意を感じます。
共産主義思想については本人が後書きで述べているように
ヤマギシの体験が影響を与えているのかもしれません。
そしてもっと深い心の部分、
それは大衆への憎悪ではないでしょうか。

以前も書きましたが
オウム事件のときの彼に対するバッシングは大変気の毒でした。
ああいう経験をした人がそう簡単に大衆を許すとは思えません。

葬儀や墓によって弔うことであったりグリーフワークを行おうとする多くの大衆に対する
憎悪が島田氏の根底にあるのではないか
と最近私は思うようになりました。
そうすれば彼の発言は納得がいきます。

0葬に抵抗感を持つ人たちは、遺骨に故人の魂が宿っているとでも考えているのだろうか。遺骨を供養することが、故人の成仏に結びつくと信じているのだろうか。

私たちは必ずしも墓が必要だと思うから、それを造っているわけではない。

反論として私の記事のリンクを貼っておきます。
お墓の思い出

それに、残された人間が故人を思い出すのは、故人がした善行を通してではなく、反対に迷惑になったことを通してだったりする。死後に忘れられないためには、生前、周囲に数限りない迷惑をかけておいた方がいいのかもしれない。

あるいは、葬儀のやり方や墓への葬られ方を遺言することで、残された家族を縛ることに快感を感じるのかもしれない。

しかし今では、先祖崇拝が衰えることによって、先祖の霊、先祖の祟りといったことが指摘されたり、強調されることはなくなっている。そうしたことにリアリティーがなくなってきたからである。  それは、私たちが死者から解放される道を歩んでいることを意味する。

もし以前から本気でこういうふうに考えていたのなら
なんで宗教学者になんかなったのでしょう。
そしてもし途中変節したのならなぜ今も宗教学者を名乗っているのでしょう。
私との感覚的倫理的な共通項が見つかりません。

やっぱり
こういうことを書けば愚かな大衆どもが本を買うだろうという商業主義に徹している
のではないでしょうか。
でなければこの言動というのはちょっと首を捻らざるを得ないです。
ただもしそうなら葬儀屋の商業主義はだめで自分の商業主義はいいのか
という話になるんですけどね。
炎

それから島田氏のご両親はご存命なのでしょうか。
お亡くなりになっていたとしたら、御本人はどうやって弔われたのでしょうか。
気になります。

次回は本題、0葬は可能なのか?です。











10 件のコメント

  • 私はほとんど本を読まないのでここの引用は非常に助かっています。
    オウムの時のことは知らないのですが
     島田さんすごいこと書いているんですね。全ての職種において儲けるのは悪だといった論調・・・。ほぼ主観。

  • リンク先の米村さんの発言が染みました。

    ネット社会になってどんな考えも「発言」になってしまうので、このようなことはこれからも絶えないと思われますが、一方では、検索することにより理路整然とした反論があることに読者に気づいてもらうことも意義のあることだと思います。

    今、ツイッターやFBではまさにこの状態だと思います。

  • 0葬に抵抗感を持ってはいけないのは何故なのか。
    島田氏に納得いく説明をして欲しい気がします。
    人を葬ることで儲けが発生しては、何故いけないのか。
    労働には対価が支払われて当然です。
    葬儀屋さんは雲や霞を食って生きろというのでしょうか。

  • かかし様
    >理路整然とした反論があることに読者に気づいてもらうこと
    はい、ここ目指してます。

  • はっちゃん様、
    深読みすると葬送の自由を進める会が0葬にシフトしているので
    将来お金を生むように、
    という深読みもできるかなと。

  • ご本人が実践なさってる最中でしょうか。
    死後忘れ去られないため、周囲に迷惑かけまくる、と。

  • はっちゃん 様、
    まぁとはいえあのオウム騒動のときは本当に気の毒だったので
    この程度の「復讐」は認めてもいいのかも、
    という気持ちはあるんですけどね。

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